ロビンソン・クルーソーのメンタル・サバイブ術③
こんにちは。
カウンセラーのあるくみです。
前回、前々回と「ロビンソン・クルーソー」が28年間もの間、無人島で一人で生き延びてきたメンタル・サバイブ術を紹介してきました。
https://arukumi.hatenablog.com/entry/2019/11/19/005026
https://arukumi.hatenablog.com/entry/2019/11/21/001259
今回、最も彼を支えてきた重要なメンタル・サバイブ術をお伝えします。
それは、神への信仰です。
信仰心はメンタル・ヘルスに役立つといわれております。
では、具体的にどんなことが、どんな風に役立つのでしょうか?
ロビンソン・クルーソーは、もともと信仰心は極めて薄い人間でした。そんな彼がどんな心境から信仰心を持ち、どんな風に変わったのか、見てみましょう。
日本人の感覚では分かりにくいのですが、キリスト教社会において信仰心が薄いというのは、不届き者扱いされてしまいます。
彼は、神をも恐れぬ船乗り仲間の中でも、"私はもっとも心ない、軽率でよこしまな人間であり、危機に際しても神を畏れなかった"と述べています。
彼は無人島に漂着するまでに、すでに散々な目に合ってきております。それらの際も、1人だけ助かり無人島にたどり着いた際も、神の摂理など一顧だにしていません。
そんな彼が初めて神へ祈りを捧げたのは、病気になったときです。
苦しみの中、"「主よ、お助け下さい。私はひどく苦しんでおります」"これが、"長い年月の間で唱えた最初の祈り"でした。
幸い、彼は回復することができました。
病気から回復できたのが、神への祈りのためかは分かりません。
しかし、苦しいときに神頼みをしてしまう心境は、誰でも思い当たる節があるかと思います。
そして、病気が癒えたことを、彼は初めて神へ感謝するのです。
その後、難破船から持ち出すことができた聖書を毎日朝と晩に真剣に読み始めたのでした。
だからといって、これで強い信仰心が確立されたというわけではありません。
病気から回復したが、無人島から救い出されてはいない、と思い、不満に思う。その一方、今までにたくさんあった危機から救われてきたことを思い出し、感謝をする。
この繰り返しです。
とある最大のピンチに直面したとき、"心の動揺が信仰心にも多大なる影響を与え"、"落ち着いて造物主に祈るという心境ではもはやなくなった"状態になってしまいます。
それでも"私は不平不満をいう以前に神に感謝せねばならないのだ。私はこの惨めな境遇にあってなお、神を知り、神の祝福を待ち望むことで慰めを得ている"という心境に達するのです。
苦しいときに、祈る。
自分が生かされている状況に感謝をする。
これがロビンソン・クルーソーを支えてきたのでした。
信仰は、現代の私たちにも支えになります。
自分には信仰心はないから......という人でも大丈夫。
メンタル・ヘルス的には、祈ったり、感謝するのは何に対してでもいいのです。神でなくても良いのです。
それに、日本には八百万の神を拝むというもともと信仰心に富んだ文化があります。
国家事業の大仏建立から、農村の畦道にたたずむ道祖神まで、さまざまな形で信仰し、支えられてきたわけです。
それに、ロビンソン・クルーソーの信仰だって、揺れ動いています。
この揺れ動くさまは、極めて人間くさく、現代の私たちにも共感できます。
「ロビンソン・クルーソー」は不屈の精神で無人島生活を生き抜いた話のように思われていますが、もともと強い精神を持ったヒーローではありません。
ただの風来坊の困ったちゃんという印象です。
そんな彼が行ってきたことだからこそ、私たちにも役立つ術なのです。
ちなみに、あまり知られていないことですが、「ロビンソン・クルーソー」には、続編があります。彼は無事、帰還しても、新たな冒険へ旅立ってしまうのです。
この物語から得た一番の教訓は、人間はいろんな間違いを繰り返して、そのたびに後悔と懺悔をし続けるくせに、生き方を変えられない生き物なのだな、ということです。
byあるくみ